強い憧れと冷静な状況判断

強い憧れと冷静な状況判断



正月といえば雑煮です。

温かく、この寒い正月には最適です。

さて、年頭は様々な目標を立てるものですが、目標にもよりますがこの目標に挑もうとする時に

一番のエネルギーとなるのが「憧れ」です。

「あの人みたいになりたい!」「あの様にしたい!」等々のある意味「欲」です。

これが、あることにより、誹謗中傷されても、何か困難な事が前に立ちはだかろうと

乗り越えて行けるのです。

つまり、それがあるから方便そのものを目的として、行う事が出来るともいえます。

そうでなければ、やってられないでしょ。

「欲」は一般的に悪いものですが、使い方を間違えさえしなければ素晴らしい生命エネルギーと

なるのです。

簡単にいうと車のガソリンですね。

ガソリンは火をつければ爆発しますが、ちゃんと使えば、我々をどこまでも連れてっていく

車のエネルギーとなるのです。

真言宗の中興の祖興教大師覚鑁上人は、衰退していた真言宗の教え、弘法様の教えを再興しようと

奮闘しておりました。

では、弘法様の教えとは如何なるものか?という思いが誰にでも過ぎると思いますが

それに、覚鑁上人は自ら実践し、体現されました。

覚鑁上人は三年間ものの間「無言行」というものを実践され、人と言葉すら交わさずひたすらに観法に

徹底されました。

これが何を意味しているかというと、弘法様の世界観に迫りたいなら、「自ら実践しろ」

ということなのです。

これを自身の身を持って体現されたのです。

覚鑁上人のスローガンは「大師にかえれ」であります。

それはつまり、弘法様への強い憧れとも取れます。

弘法様への強い思いがあるからこそ、徹底して方便を苦境と出来るのでしょう。

従って、憧れや夢というものを持つことは、とても大切で

それを得られるのが、やっぱり人を含め様々ものとの出会いになるんではないでしょうか?

仏教には「我逢人(がほうじん)」という言葉があり、人は出会いからすべてが始まると言います。

素晴らしい人に出逢えば「自分もこうなりたいなぁ」と憧れを持ち

素晴らしい料理を食したら「自分もこういう料理を作り、たくさんの人を楽しませたいなぁ」

素晴らしい建物に出会ったら「自分のところもこういう風にしたいなぁ」または「こういう建物を作り

たくさんの人を喜ばせたいなぁ」となるのです。

全ては出会いから始まっていくのです。

だから、心を込めて接したり、作ったりしなければならないのですね。

いい世にするためには。

だから一期一会と言うんでしょう。

……ただ、気をつけなければならないのは現実と見比べて、その憧れを持つことです。

それを見誤ると、大変な事になってしまいます。

例えば、40歳くらいで野球経験なしで所帯持ちで、ダルヴィッシュ選手を見て「よし、大リーグ目指す」

「だから仕事辞めてきた」と憧れを押し通すとなると、もう大変です。

(もちろんお金がたくさんあり、家族に迷惑をかけなければどうぞ憧れだろうと

夢であろうとなんでも押し通してください)

可能性はゼロではないですが、かなり状況としてはまずいですよね。

先ほど申しました覚鑁上人は、弘法様を習い「行」をよくなされたお方です。

そう言うと、非常に堅く厳しいお方であるのかなぁと思われる方も多いと思いますが

確かにその通りで、弘法様の世界に迫ろうと行を重ねたお方でありますが

それだけでなく、飢饉や争いごとに巻き込まれ苦しんでいる衆生の心情を汲んで、

浄土信仰を真言宗に取り入れたりして、宗団の運営を考え弘法様の教えを次世代へ伝えるなど

「行」以外にもそうした、現実に起こっている諸々問題にも積極的に取り組んでいかれました。

厳しい心と温かい優しい心の両方を併せ持つ、ハイブリッドな偉大なお方なのです。

「大師にかえれ」と、弘法様の世界観に迫るなら、行をするしかない。が

現実問題の集団の運営や、衆生救済と言った問題の解決も無視出来ない。が

集団運営に気を取られ、本来の方便を忘れては、どうにもならない。

この難しい両立を見事こなされたのです。

それは、我々にも言えることです。

「憧れ」や「夢」というものはとても大切ですが、現実を冷静に見渡すこともとても大切なのです。

憧れや夢を追うがあまり、経済問題や人の不理解等々の諸問題が噴出しては、穏やかではありません。

しかし、人の縁や経済問題ばかり気にして、本来の姿(方便)が錆びつけば

形骸化という問題が起こってしまいます。

非常にこの両立は難しいかも知れませんが、それだけこの矛盾する2つの価値観は大切なのです。

従って、憧れや夢をもちながらも、今眼の前の現実問題を乗り越えていくという事が大切になるのです。

覚鑁上人は弘法様の教えを守ったお方です。

その時代の浄土信仰を否定していたならば、今日のこれだけの真言寺院はなかったでしょう。

守るというと、そのまま保存すると思われる人も多いと思いますが

それでは無常の風に仰がれて、伝統とともに飛ばされて、それでお終いです。

残酷ですが、それが世の相であります。

したがって、覚鑁上人は「行」を行いながら、つまり弘法様の教えを背負いながらお寺の激務をこなし

激動の時代を生き抜いて、「教え」を次世代へ運んだのです。

どちらか方っぽでは、教えは途絶えてたでしょう。

偉大な人は、この両立がどちらも非常に高いレベルで出来ているのです。

仕事上手は遊び上手とはよく言ったものです。

そして、そういう人を見ていると、遊びでも仕事でも「真剣」なのです。

心から真剣に遊び、真剣に仕事をしているので、どちらも充実したものになり

飛躍するのは当然ですね。

したがって、「夢」や「憧れ」も目の前の仕事も、真剣に取り組まなければならないのです。

ハイブリッドな人は、どの時代も第一線にいるんですね。
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[ 2015/01/02 17:35 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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