「違うね」と諦めたらそこで終了

「違うね」と諦めたらそこで終了



駐車場のミモザが綺麗です。

毳毳しくなく、落ち着いています。

さて、何かをする際に、一番なんの弊害もなく行くためには自分一人で行っていくことです。

誰にも邪魔されず、何も遮ること無い自己責任であるけど、まぁ思い通りで快適です。

ただ、一人でやれる事って限られているし、一人になるのは簡単なのですが

人が集まって何かをすることは中々難しいです。

そして価値観が違う物同士であるならば、なおさら難しいです。

従って、この相反する価値観を如何に引き合わせて行けるかが、大切になるのです。

その為には、まず相手を認めることです。

いくら自分がその価値観が合わなくても、その矛盾を含んでも前に進みたいと言う気持ちがあれば

例え自分の意見がすべて通らなくても、前に前進する可能性があります。

もちろん影は含んだままですがね。

こうした相反する価値観を引き合わせる方法を真言宗では不二の発想と言います。

我々はあの人、この人、そして自分と分けて考えてしまいがちですが、それは単なる認識があるだけで

本来はすべてつながっていて別々に存在していないのです。

従って、相手が認めてもらえなければ、こっちから「Follow 」することが大切なのです。

「何だよ、負けたみたいだなぁ」と受け取られる方もおられるかも知れませんが

そうではなく、最初に謙虚になって受け入れた方が勝ち負けでないですが、ある意味「勝ち」です。

確かに、意見が合わない人はたくさんいます、ですがだからといってそれを理由に

行動そのものを止めてしまうのではそれまでなのです。

話は突然変わりますが、朝日や夕日は美しいですよね。

眩い光を放ちます。

しかし、この光は塵に光線が反射して発せられているのです。

つまり、塵も無駄ではなく必要なものなのです。

よって、いくら価値観が合わなくても、謙虚であればこの様に、視点を変えることが出来て

太陽の様な眩い光線を放つ事が出来るようなるのです。

よく、政治でも代表戦で敗れた相手を称え入閣させることがありますが

当選者の器が大きく見えますよね。

「好きだからやる」「嫌いだから切る」というのでは、プライベートなら良いですが

組織などを束ねる際に、主となる人がそれではどうにもなりません。

いずれまた、好き嫌いの選択をして行くので、組織はやせ細ってしまい

無くなりはしないかもしれませんが、ジリ貧は避けられません。

例えば、知多四国霊場も、亮山阿闍梨が他宗派のお寺のご協力を得て、知多半島にこれだけ

長く続く霊場が出来ました。

「他宗派?無理だね」とハナから諦めていたら、生まれなかったのです。

こうした亮山阿闍梨の謙虚な姿勢が、他のお寺様の心を動かしたと言っても過言ではないでしょう。

簡単に「互いに違うね」と諦めるのも一つの考えです。

しかし、そのこだわりによって、まだ生み出されてない素晴らしい「何か」が我々の周りに

眠っているのです。

物事がうまく進まない理由は、金銭的なものでも能力的なものでもなく、我々の「こだわり」なのかもしれませんね。

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[ 2015/02/17 19:59 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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