道心を宿し他の為に尽くしましょう

道心を宿し他のために尽くしましょう



いちご大福。

みかんと比べてもこの大きさ。

味は見た目の大きさとは裏腹に、大味ではなく

甘さ控えめで美味しいです。



中には大きな甘いイチゴが。

さて、我々が生きて行く上で忘れてはならないのは「道心」です。

道を求める心が、何よりも大切なのです。

これやったら、何が得られる。俺はどうなる。

こうした視点は大切でしょう。

しかし、片っぽの価値観に過ぎません。

その視点があまりにいき過ぎると、行動そのものが錆び付いてしまい

形骸化してしまいます。

そのあとは、無常の風に吹かれてそれでおしまいです。

何と言っても、我々の正体は方便そのものです。

従って、我々が本来目指すべき姿は「方便第一」なのです。

理屈云々ではなく、方便が第一に来なければなりません。

そのためには、冒頭で申しました、道心
が必要になるのです。

道を求めると言うことは、平たく言うと

その方便が「好き」と解釈していいでしょう。

そうすれば、例え見返りが無くてもその

行動そのものが目的なので

その方便を手段として行う人は、例えば「3時間練習したぞー」と言って

今日「俺はやったなぁ」と自己評価として帰って行くかもしれませんが

その方便が目的の人は3時間練習した後に、さらに2時間練習しだします。

差が出て当然ですよね。

でも、好きな事だけで特に仕事で「食って行けるのか?」

と言う現実問題は常について回ると思うのですが

もちろん、それだけでは難しいと思います。

そこで、相手の不満、不安の解消をする「利他行」が基本中の基本となるのです。

ですが、それがいくら人のためになったとしても

その方便が当の本人が「好き」でなければいくら意味のある行為でも続けられません。

そこで、先程の好きな事を取り入れることで、

利他行を続けていける事が出来るのです。

尽くし合う世の中で、基本中の基本は利他行なのですが

それだけでは、継続もそして個性も生まれず

埋もれるか、継続不能になるかでしょう。

ですから、好きな事を取り入れることが大切になり

唯一無二の存在になり、尚且つ損得勘定だけで動く、方便が錆びつく形骸化を

防ぐことが出来るのです。

弘法大師空海様も、真言宗の中興の祖興教大師様も、どちらも行(自利行)をされたお方ですが

それと同じくらいに、その時代に起こっている問題や、苦しんでいる衆生を救済する利他行もなされました。

この利他行と自利行をどちらかに偏らず、両立された素晴らしいお方なのです。

「好きなことをしろ」「他人の喜ぶことをしろ」と矛盾する価値観でございますが

その二律背反の接点こそ、我々が目指す場所なのです。

道心を宿し、他のために尽くしましょう。
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[ 2015/02/25 22:28 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

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