「え?何の事?」

「え?何の事?」



凄い数のつばめが電線に止まってます。

これから来る台風にどのように乗り切るか相談でもしているのでしょうか?

天候もそうですが、世の中は常に揺れて動いています。

株価もそうですし、お金の価値も物の価値も全て変動しています。

そんな不透明で不確実な世界の中で、我々は生き抜いていかねばならず

その為にはまず何と言っても心の安定、「安心 あんじん」を勝ち得なえないといけないのです。

ですが、我々はそうした安心を物やお金から得られると思い込んでいるのです。

もちろん、それらはとても大切ですが、それらは揺れ動く対象になっているので

心の支えにするにはちょっと不安なのです。

勿論それは「人」もです。

ではこの無常の世界で何を拠り所とすればいいのか?

それが「仏法」なのです。

何故仏法が心の安心になるかと言うと、仏とはこの世の「真理」を体現された方であり

その教えは、真理に沿った教えであるので、安心の道になるのです。

例えば今株で大損している人がいて嘆き悲しんでいるかもしれませんが

反対に、この流れを予想して、売り出しすごく儲けている人もいるでしょう。

損している人もいれば、得している人もいる。

では、この二つの存在の違いはと言うと、視点を変えて見られる事です。

常に「リスク」の予測をされているのだと思います。

反対にいつまでもこの景気が続くんだと思い込んでいる人は、視点が一つしかない状態です。

光しか見えてない状態ですね。

何度も申しておりますが、「無常」という事はいい時も悪い時もずっとは続かないのです。

従って「今」の評価だけで、全ての物を見ていたら、大事な視点を失っていることにもなるのです。

例えば今「物」が溢れていて、もう物はいらない状態であります。

しかし、これが将来グローバル化が進み世界がフラットになったらどうなるでしょう?

ものすごく価値が跳ね上がると思うのです。

何故なら、資本主義は簡単に言うと資本が多い所が富を享受できるシステムで

それが世界の国が拮抗しだしたらどうなるか想像できますね?

今まで安く作らせていた物が、もう安くは出来ない。つまり、物は安く作れないのです。

資本主義の基本はお金ですがそのお金が生まれたきっかけとなったのが物々交換からだと言われています。

もし、国家破綻してしまったら、お金の価値はパーです。

そこで、我々は現実を見せつけられるでしょう。

それは、「物って大事だな」もっと言えば「食べ物って大切だな」という事です。

先程も申しました通り、「今」は物の価値は、物の行き渡っているこの日本では価値は低いかもしれませんが

お金の価値が大暴落すれば、価値はどんでん返しになるのです。

よって、今こうした裕福な時代を生きている我々は資本主義の恩恵の受け入ても懺悔(感謝)の心を

忘れてはいけないという事です。

仏教には「縁欠不生」と言う言葉があり、全ては「縁」であります。

物にしてもお金にしても何でも、「縁」が固まって生じているのです。

つまり、物を大切にしないという事は、縁も大切にしてないという事です。

縁を大切に出来ない状態で、その資本原理主義の社会が崩壊したら、世の中は

大混乱を招くのです。

従って、仏教に帰依し心を耕し、その教えに沿っていき、そして本当の田畑を耕しておいた方が善いかもしれませんね。

我々の究極は生きることで、それは食であります。

その食料(安全な)の確保は自分たちでしなければなりません。

仏の教えを拠り所とし、地域コミニュティ(サンガ)を作り、所謂シェルターを整備をすれば

もし国家破綻したとしても、「え?何の事?」と涼しい顔しているでしょう。

仏様の色は金色(きんいろ)であり、金(きん)の価値は昔から失ったことはありません。

しかし、金(かね)は国の情勢によって変動または、破たんします。

つまり、仏法は我々を浄土に連れて行く黄金船なのです。

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[ 2015/07/15 14:15 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)