環境と種

環境と種



今年初スイカです。

夏の風物詩です。

個々数日、日照時間が少なったのですが大きくなりました。

今ちょうど台風が接近してまいりまして、バケツをひっくり返したように

雨が降り出しました。

どうか、皆さんも台風には気をつけて下さい。

さて、仏教には「因縁果」という言葉が有りますが

物事の結果にはすべて物事の起こりの「因」と周りの「縁」が関わってくるということなのです。

スイカで例えれば、スイカの種が「因」で、周りの土壌の環境や水や太陽の光、空気

など、それらの「縁」が「因(種)」と結合して「果」が生まれるのです。

その「因」と「縁」、そのどちらがかけてもスイカは絶対ならないのです。

よって、結果が悪ければそれまで過程の「因」か「縁」どちらかがかけているのです。

どれだけ、志が高くても周りの環境が整っていなければ、中々芽は出ません。

反対にどれだけ環境が整っていても、動機が自己中心的なものであったら結果は出ません。

この法則をしっかりと理解することが、大切なのです。

どんなに自分がこうなりたいと思っても、その状況に無い物は無いのです。

例えば、冬にスイカの種を撒いても、育たないでしょう。

つまり、「自分」がこうなりたいと自我を働かせると苦しみの種を同時に撒き出すことになり

「苦」がニョキニョキ雑草みたいに生えてくるのです。

冬はどんなに頑張っても絶対夏にはなりません。

従って、なれる環境に飛び込むしか、あるがままにと無我になり、謙虚にその環境にあるものを

享受するかですね。

そして、反対に環境は揃っているけど、結果が出ないという場合は根本の「因」に

問題があるのです。

先ほど申しました様に、その動機が不純なもの、または利己的なものであれば善い結果は生まれません。

源が濁れば流れる水も濁ると申しますように、根本が清らかでなければなりません。

つまりこの物事の起りが、「皆を楽しませたい」「世の中にたくさん役立たせたい」という

慈しむ清らかな心が源であれば、善い結果が生じるのです。

「慈しむ」とは命を育むということですから、果は当然育ちやすいですよね?

よって、「自分が」ではなく如何に謙虚に周りの環境に感謝できるか?

そして、動機が如何に利他的であるか?ですね。

今自分が置かれている環境を把握して、「すべき事」の中から「出来る事」そしてその中で「好きな事」を

組み合わせ、その行いを一生懸命こなすことが、大切になるのです。

「無いものは無い」「あるものはある」「あるがままに」と環境を把握して

「皆の為に」「すべき事」「出来る事」「好きな事」と種を調合して

大きな果実を育みましょう。
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[ 2015/07/16 20:34 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)