常に語りかけているのです

常に語りかけているのです



玄関のつばめが巣立ちましたので、つばめ専用の入り口を閉めました。

境内の電線を見渡しても、どこにもつばめの姿が見えませんので、こりゃいよいよ巣立ちましたね。

ほっとするのと同時に、何か寂しくもありますね。

こうして巣立ってしまってから思うのは、もうちょっとつばめをしっかりと見ておけばよかったなぁと

少し後悔するのです。

我々は、紛れもなく資本主義の社会に身を置いていて、価値と価値の交換が日々行われているのですが

その世界にどっぷりと浸かってしまうと、「自分が得するかしない?」という損得勘定だけ

働かさせてしまって、そうでなければ見向きもしない、つまり存在を消し去ってしまうのです。

そして、さらに今はネット社会でありまして、それはそれで素晴らしく便利であるのですが

故に、自分の興味のあることしか触れないと、世界を狭めているとも言えます。

「損得勘定」と「好き・嫌い」とこうして我々は自然とふるいにかけているのです。

しかし、忘れてはならないのは我々が身を置く世界にはもっと大きい世界があるのです。

それは仏の世界です。

我々は広い広い仏様の体内にいる、ごく小さい存在なのです。

その世界は命の優劣はなく、善悪もなく、何もなく虚空の世界であり

そして、皆互いに尽くし合っている、縁故によってできているのです。

これが、真理です。

資本主義の世界も、ネットもこの世に無数に存在する世界の一つの価値観なのです。

もちろん、それらの世界は重要でありますが、その世界だけに偏ってしまうと

当然ズレが生じてしまい、自分の身を置く世界が苦海となるのです。

仏の世界ということはこの世の働きはすべて御仏の命の表れであります。

こうして、つばめが旅立って「寂しさ」「悲しさ」を感じるのも、仏様が「出会いと別れは一緒」

と我々に諭してくださっているのだと思うのです。

その時に、「我々はもっと大切なものがあるのではないか?」と気付かされるのです。

いずれにしても、生きる智慧が身についていなければ、便利さ故にその世界に入り浸り

不具合が生じてしまうのでしょうね。

もちろん「損得勘定」を考えるのも「好きな事」をすることも大切ですが、あくまでもその2つの世界は

無数に存在する世界の一つという前提がなければなりません。

そして、御仏は我々に常に語りかけてくださっているのです。

そのさえずりをキャッチする為に受信機が埃に被らないように、

自浄作用のある仏法に触れることが大切になるのですね。

「縁によって生かされている自分」「尽くし合う世界」が前提であることを忘れた時に、人は災厄に見舞われるのでしょうね。

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[ 2015/07/28 11:10 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)