変幻自在です

変幻自在です



白いサルスベリが暑い日は涼し気でいいです。

今日みたいな青い空にサルスベリが映えます。

白いサルスベリが白い雲の様に見えます。

さて、ご存知の通り雲は空気中に含む水蒸気が上空で冷えて出来るのです。

つまり、雲というのは呼称であり、実体は「水(H2O)」なのです。

雲という存在は無いなのです。

これは、我々にもそう言えると思います。

我々は確固たる「自分」という存在が有ると強く思い込んでいるのですが

実体は、このような雲の様に実体がないのです。

我々は、米粉や砂糖などの粉が餡や湯などのつなぎ(縁)によって集められた練菓子のような

存在なのです。それが我々なのです。

つまり、我々は「生かされている」のです。

そして、雲は雨になって、地に返っていき、それがまた蒸発して空上に遍満して

また冷やされ雲となり、雨になる…このサイクルは永遠に続いていくのです。

それは我々もそうです。

今は仮の姿で、神であろうと、仙人であろうと、億万長者であろうと、いつかは朽ちて

この虚空の流れに還っていくのです。

だから、人生の始まりと終わりと言うのは、我々の意識の中でしかなく

俯瞰的に見れば我々の命は始まりも終わりもなく、我々の人生は長い長い旅の途中の「ごく一部」なのです。

じゃあ、我々は何しに生まれてきたのでしょう?それはどうあっても「修行」であります。

この世は「一切皆苦」と申しまして、苦の世界であります。

先程も申しましたように、空気中に含まれる水蒸気が上空の冷気で冷やされ、雲になるように

我々も虚空の流れがこうした、冷気ではないですが、苦の世界を流れる際に

雲の如く現れたのです。

そこで何するか?または何の修行するか?ですね。

雲の如く変化自由です。

流されるもよし、水になるのもよし、雪に降るのもよし、氷になるのもよし、

どこかの銭湯の湯になるのもよし、かき氷になるのもよしです。

なんせ実体が無いのですから、雲の如く囚われることなく、流水の如く

やりたいことすれば良いのです。

後は、世法が勝手に判断します。

ただ、気をつけなければいけないのは、評価を出すのは自分ではなく常に世法(周り・他人)であるのです。

従って現実的には「すべき事」で次は「出来る事」そして「したい事」の順になるのでしょうね。

「流水の如く」と言って「自分の」好きなことばっかりするというのは先程も申しましたが

本来は、「自分」も「他人」も無い世界で、それに囚われてしまうと苦の源となるのです。

そして、我々は練がしの様な存在ですので、縁によって作られた存在でもあるのです。

従って、その縁によって出来たということに感謝をしなければならないのです。

つまり、普通の考えで行くなら、その縁を下さった人たちに利他の行いをすることが基本中の基本ですね。

その方法は雲の如く自由であるのです。

従って、「すべき事」「出来る事」「したい事」を組み合わせ

その行いを究竟として、生死、善悪、すべてを超えた虚空の世界に今生で

合流しましょう。

その姿は仏であるのです。

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[ 2015/08/11 17:00 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)