「0」ゼロ

「0」ゼロ



きゅうりで出来た馬と、ナスで出来た牛。

ご先祖様は馬に乗って早く帰ってきて、そしてお帰りになる時牛に乗ってゆっくりと帰って

頂きたいという願いが込められております。

今日はお盆の二日目。

今日はあちこちで、ご先祖様のおもてなし(ご供養)が行われていることでしょう。

どことなく、町に柔らかな空気が流れています。

さて、写真にも写っていますが、お檀家さんのご自宅のお仏壇の前には大体、般若心経の経本が

置いてあるのですが、般若心経で一番多く出てくる漢字は「無」です。

無の反対語は「有」ですから、この世のすべての物は「空」でカラッポで何も無いと説いているのです。

…この虚空の世界つまり仏の世界を数字で表すと「0」であります。

「得る」ことは「失う」と同異義語で、「失う」は「得る」と同じです。

「0」に何をかけても「0」で「0」を何の数字で割っても「0」です。

般若心経の一文で「不増不減」と出てくるのですが、この世は空つまり「0」ですから

増えること減ることも無いのです。

…じゃあ我々はそんな得ることも失うことも無い世界で何すれば良いのでしょう?

それはずばり、したいことをすれば良いのです。

時間の許す限り、したいことしていれば良いのです。

我々は、失敗を恐れて行動しないことは多いのですが、もちろんよく考え、慎重に行くことも大切ですが

この般若心経の視点から見れば「失敗」というものは無いのです。

何故なら空だから。

失敗か、成功かは我々の勝手な判断で、自分では「成功した」と思っても、相手は「何か変だね」と

受け取られることもしばしばです。もちろん、その反対もしかりです。

ですから、こうとも考えられます。

「失敗は怖いから行動しない」という事も、視点を変えたら失敗ではないのか?

反対に、失敗だと思ったことも、時間が立ってみてみたら成功の素だったと。

全ては、増えても減ってもいない、失敗も成功もない、勝ったも負けたも無い

我々の認識がそうしているのです。

と、言うことは、賞賛の為の行動とか、認められたいから行動するということは

空で有るという視点から見たら、実は、あまり意味のないことかもしれません。

だから、賞賛とか、認められなくても、やっていける行動、その行動そのものが目的の事

つまり、「したいこと」「好きなこと」をこの空の世界ですることが一番良いのです。

…しかし、じゃあ皆好き勝手に行動すれば良いのか?となると、それはそうでもないのです。

何故なら、自分の成り立ちをよく考えなければなりません。

「空」ということは自分も無いのです。

そこで、「自分の」と真っ先に出てきてしまうと、この世の真理に外れてしまいます。

従って、自分という存在がどうして成り立っているのか?とその自分という存在の「起こり」を辿ることが

大切になるのです。

そのうちに、自分は他に生かされていると縁起の法則を知るはずです。

そして、そこで、「罪」を感じるはずです。

この反省が我々人が第一歩を踏み出す際に大切であるのです。

よって、「したいこと」ではなく「他にすべき事」が第一歩になるはずなのです。

そして、その「すべき事」の中から、「出来る事」をチョイスすることが大切になるのです。

出来ないことは、出来ませんからね。

そして、いくら今それがすべき事で、出来る事でも、したいことでなければ継続は難しいです。

我々には感情がありますから、それを無視していれば、いつか壊れます。

この3つの事柄の順序を守ることが、大切になるのです。

いきなり、「自分のしたいこと」からスパンと入ると、周りの理解を得られなかったり、

認められなくて、心が穏やかでなくなってしまいます。

何故なら、我々は、根本ではすべて繋がっていているので、その縁起の脈路を経つと

自分という存在そのものの意義が危ぶまれますから、大変危険なわけです。

つまり、自分という存在は他人あっての自分、つまり他人は自分であるという観点に至るのです。

従って、他人の幸福を祈るということは、自動的に自己の幸せをも祈ることになるのですね。

他人を幸せにしたいなら、自分の幸せを第一に考えろともいいますが、逆説的に考えれば

他人に必要とされる、つまり、他人を思いやる自分を第一にしろということではないでしょうか?

誰からも、必要とされない虚しい自分で居られるのって、難しくないですか?

従って、この「0世界」で好きなことしていればいいということですが

縁起の法則で成り立っている自分をまず自覚しましょう。

…どうして、こうも日本は豊かなのか?

明日は世界第二次世界大戦の敗戦から70年の日。

多くの柱(犠牲になった命)の上になりたっている事を、自覚することが大切ですね。

そして、我々の命が成り立つのは、両親、祖父祖母、ご先祖様…などなどの命のリレーのお陰で有り

様々な命の犠牲に成り立っているのです。

懺悔せずに要られるのでしょうか?

「0」の世界で、何をするのも勝手ですが、笑われても、何も得られずとも

「せず」にはいられない何かがあると、感じるお盆でもあります。

「0」は何も無いかも知れませんが、この「0」に立ち返ることによって

熱い菩提心も湧き上がることも有るのです。それは生死を忘れるくらい。

そこで、初めてこの虚空の世界に、美しい一輪の花が咲くのですね。

つまり「0」は無限の可能性を表す数字でもあるのです。

少し、確固たる自分を「0」に戻してみましょう。

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[ 2015/08/14 17:09 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)