頑張ることも怠け?

頑張ることも怠け?



白いサルスベリの花が爽やかでいいですね。

夏もいよいよ終わりに近づいて来ましたね。

コオロギの鳴き声とツクツクボウシの鳴き声のコントラストが聞こえてきました。

ちょうど、夏と秋が入り組んだこの時期は非常に心も体も癒やされます。

さて、この「サルスベリの木」は地域によっては「怠けの木」と呼ばれていて

その由縁は、他の木々に比べ、葉が芽吹くのが遅くそして他の落葉樹に比べ早く落葉もしだすので

「怠けている」と捉えられたのでしょう。

原産地は中国南部であるそうなので、日本と少し気候が違うので、そうなったのかもしれませんが

実際このサルスベリは怠けてなんかいません。

こうして、美しいフリルの花を咲かせ我々を癒やしてくださるのですから、怠けてなんかいません。

「懈怠 けたい」という言葉が仏教にあるのですが、これは仏道修行に励まず怠けることを言います。

この「怠ける」と言う定義とは、世間的に見た時と、仏教的に見た時とでは違うのです。

世間的には「何か辛いけど一生懸命に頑張っている」「苦しんでいるけども我慢して行っている」

という事を「頑張っている」と思い浮かべるかと思いますが、しかし無理して頑張るということは

仏教の視点からしたら「怠けている」のです。

何故なら、先ほど申しましたように、「仏道修行に励まないこと」が仏教では怠けの定義なので

頑張って、我慢して、つまりイライラして、そして終いには「俺はやっている」「あいつはどうだ」

と自我が肥大して、他人を攻撃する始末。

これは、怠慢と言っていいでしょう。

汗の量と動きの量が多ければ「頑張っている」少なければ「怠けている」という視点は

この世の真理からみたら、外れているのです。

「仕事は苦しむもんだ、楽しそうにするな」という、誰かが作ったか「道徳」に我々の心を

支配し眼(心)を曇らせているのです。

しかし、当然一理あります。

お釈迦様の言葉にも、「一切皆苦」とありますように、この世は苦に満ちています。

ただ、誰も「楽しんじゃいけない」とは一言も言ってないのです。

苦はどんな道を通ってもあるという「前提」を持たなければ、ダメということです。

でなければ、とても生きられたもんじゃないですよ。

例えば、ゴーヤって野菜ありますよね?苦味が美味しい野菜です。

ただ、このゴーヤという野菜を甘いと思い込んで食べたら、とても食べれませんよね?

ゴーヤは苦いと思って食べれるから、おいしく頂けるのです。

というように、「苦」はあるという前提でいかなる道も歩まなければならないということです。

…では楽しくするためには如何にするか、好きなことをすれば良いのです。

しかし、これまた前提があり、「他の喜ぶ行動の中で」好きなことであります。

つまり、いくら自分が好きな事と言っても、それを誰にも認めてもらえなければ、中々継続は出来ません。

そうすれば、心は穏やかになるはずもありません、よって、これも怠慢になるのです。

花は観手に咲くと申しますように、サルスベリの花は、関係ない我々の心に花が咲いているのです。

つまり、自分が心穏やかかどうかは、第三者が判断するのです。

誰にも認められなくて、楽しくないのに、無理して「どんな時でもハッピーです」って

言い続けていたら、先ほどの無理して自分のしたくないことを続けるのと一緒です。

従って、利他(他人の利益に貢献する)ことから入ることが、基本中の基本になるのです。

何故なら、我々は様々な縁の供養があってこの虚空の世界に「自分」という存在が成り立つのです。

つまり、その施しへの懺悔(感謝)の心が持たなければ、人として成り立ちません。

この、懺悔の心は人しか持てないので、人はこの罪を背負うことで、まずはスタートしなければ

ならないのです。でなければ、他の動物と変わりません。

しかし、いくら利他の行いでも、それが「出来ない事」や「好きでなければ」当然継続は難しいです。

そして、「俺はこんなにも苦しんでいる」と自我が肥大し、他人を攻撃するか体が壊れるかのどちらかです。

ですから、この利他の行いと自利(自分の修行)、つまり「したい事」はバランスを取ることが大切で

ということは、どちらの道に極端に偏らない、「中道」がベストになるのです。

そして、まず軸は「今」です。

「今」「自分」が「他人」に「すべき事」をサーチをかけ、そしてその中で「出来る事」を再びサーチをかけ

そして、最後に「したい事」をチョイスすることです。

それで出てきたのが、自分が歩むべき中道となるのでしょう。

それは、環境や自分の力によって違うので、本当に全く一緒の道なんて無いのです。

ということは、「自分」という存在しか出来ない道(方便)があるって言うことですね。

それが、我々が生まれてくる際に御仏から頂いた、ミッションなんでしょう。

それを皆が気付きミッションを遂行すれば自利利他円満、この世はそれぞれが尽くし合う

仏の世界ってことですね。

義務的に生き過ぎても怠慢、楽天的に生き過ぎても怠慢、ただその2つの視点は捨ててはいけないので

その相反する価値観同士が合わさる接点(中道)を歩んでいきましょう。

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[ 2015/08/27 11:00 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)