大きな花火を上げましょう

大きな花火を上げましょう



サルスベリの花びらは変わっていて、がく筒の中から長い柄が出ていて

そこから6つに分かれてその先にふわふわの花が付くのです。

まるで花火の様です。

と思ったら、今日は新舞子で花火大会です。

今日は生憎の天気となりましたが、お出かけになる際には気をつけて言って下さい。

さて、花火は「玉皮」と呼ばれる、丸い殻の中に「星」と呼ばれる花火の光の部分の火薬を詰められ

その中に、「割薬」と呼ばれる、この「星」の部分を遠くに飛ばす為の火薬を詰めるのです。

そして、導火線を通し火をつけて、花火を打ち上げるのです。

暗闇に浮かぶ花火は導火線に火をつけるという「因」と様々な火薬などの「縁」の和合によって

成就するのです。

これを我々で言うと、この導火線に火を灯すことを、我々で言うところの悟りを求める心の「菩提心」であり

火薬はエネルギー(煩悩)であり、それが決着することによって美しい花火(仏)となるのです。

これが、不順な動機、自己中心的な起こり(因)であれば、こんな花火大会中に申し訳ないですが、

火薬は怖いものであるので、大変な事になってしまうのです。

では煩悩は悪いものであるから、無くせば?となりそうですが、それでは「花火」はあがりません。

そして、人が生きている以上煩悩は無くなりません。

従って、菩提心、悟りを求めるための心を起こすことが大切になるのです。

その炎のように熱い菩提心を起こすには、何が必要なのか?

それは、この世が虚空であると知る事が大切になるのです。

「無所得」という言葉がありますが、我々は生きていると何かを得る事が出来ると思い込んでいますが

虚空の世界であるように、自分も他人も、そして自分が得たい物も本来存在しないのです。

空っぽの世界なのです。何しても、霞をつかむようなもので、一時的な幻想に惑わされているのです。

虚しい…と虚無感押しつぶされそうになりますし、「じゃあ何すれば良いんだ?」と疑問が浮かぶと思います。

その疑問の答えは「したいことをすればいい」のです。

空っぽの世界で、やれることといえば、やりたいこと以外無いでしょう。

我々は得るものがあると思っているから、やりたくないことでも、やれるのです。

しかし、そうでなければしたいこと以外無いでしょう。

…じゃあ「何をしたいか?」と考えるとそのまっさらな世界では中々道が見えてきませんね。

だって自分という存在が何者かわからない、だから動きようがないのです。

従って、自分という存在が成り立っているのは何故なのか?

ご両親、祖父祖母、ご先祖様…などなど様々な命のリレーが有り、たくさんの命の施しがあって

その縁によって自分という存在が成り立っているのです。

従って、スタートは様々な施しを受けているという事実を受け入れ、生かされていると心得ることが

第一歩でしょう。

その懺悔の心が人が進むべき道のスタートとなるのです。

そして、次はその人たちの為に自分が何すべきか?そしてその中で何が出来るのか?と続き

最後にその中で何が「したいか」を選ぶことが大切になるのです。

したいことであれば、その行為そのものが目的ですから、見返りがなくても苦ではありません。

しかし、全く誰にも認められない事も継続不可能です。

よって、その自利と利他の合わさる道が、正に自分が歩むべき道なのです。

その道を歩むことで、暗闇浮かぶ花火のように美しく浮かぶのですね。

その花火の大きさ、色、形は人それぞれということですね。

ということは、煩悩は大きければ大きいほどいいし、筒、つまり器も大きければ大きいほどいいですね。

苦難を行くも超えて器を大きくし煩悩を多く詰め込め(受け入れ)、そして、菩提心の炎によって導火線より着火し

大きな花火を打ち上げましょう。
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[ 2015/08/29 19:18 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)