施しの究極は…

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つわぶきが咲き出しました。

つわぶきはこうした黄色い可憐な花が特徴ですが

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名前の由来のつわぶきはこちらの葉から来ていて

「艶葉蕗」といって「艶のある葉のふき」という意味です。

フキのように茎を食すこともあるそうです。

こうして、周りがどんどん葉が落ちていき、寂しくなっていく中

艶があり、黄色い可憐な花を咲かせ、尚且つ食用としても用いられる石蕗。

施しの究極がここにあるように思えます。

…話変わりますが、ジャータカという釈尊の前世の菩薩修行中の話をまとめた物語の中に

「猿」と「兎」と「狐」が登場する話があるのですが、こんな感じです。

「昔あるところに、猿と兎と狐がおりました。

「こうして獣として生まれてきたのは前世の悪い業によるものであるが

修行をして解脱をしたい」と発心し、真心から菩薩行に励んでいました。

そんな三匹の前に今にも倒れそうなヒョロヒョロの老人が現れました。

これではけない!と三匹はこの老人に供養をしようと動き出しました。

猿は木に登り、木の実や里に出て野菜などを取ってきて、狐は墓に行き

お供えしてあるご飯や魚などを持ってきて老人に施しをしました。

才能のない弱い兎は何も取ってこれず、他の二匹もそんな兎を慰めていたのですが

兎は火を起こすように、老人に頼みます。

火を起こすと兎は自らを食べるようにと言い残し、その炎の中に身を投じだのです。

その瞬間その老人は帝釈天に変わり、その兎の命をかけた慈悲行を哀れに思い

その姿を月に写す事にしたのです。

そして、月にかかる雲はこの兎が焼かれた際にでた煙であり

すべての人が月を観る際にこのうさぎの事を思い出してほしいと

説いたのです。」


月に兎は実はこうした話から来ていたのですね。

こうして、施すということは簡単のようですが、実はとても大変なことなのです。

ましてや、命をかけることは尚更です。

…このツワブキを見ていると、その兎と姿が重なります。

可憐で美しいですが、時にはその身を我々人に投じて施しをする。

施しの究極とは命を掛けて、施しをするということです。

だから、我々も見習いましょうと言いたいところですがとてもではないですが

真似できません。

しかし、我々がこうして生きているということは、間違いなく、そうした生き物の

命をかけた施しがあるからであります。

ですから、我々人間はその罪を感じ、懺悔の念を持つことぐらいはしなければなぁと

思う次第であります。

この懺悔の念を持つことで、初めて「人」になるのです。

つまり、その念が宿らない人は獣同然なのですね。

ですから、最低でも食事の際には「(命)頂きます」と一言言いたいものです。

「そんな簡単なこと…」…果たしてそうでしょうか?

「言うは易く行うは難し」と言いますが、言うもしないよりは断然マシです。

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月を見て、その兎の姿を思い浮かべ、自分が何か一つでも人の為に働けることは無いか?

と自問自答して、自分ができる利他の行いを生きているうちに

一つでも重ねられたらいいですね。

その姿をみて、月にいる兎は大変喜ばれることでしょう。

言い忘れていましたが、この兎は実はお釈迦様の前世です。

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[ 2015/10/21 13:21 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)