やっぱり種が大事だなぁ



採れたて大根をおろしました。

雪みたいに、さらさらしていて、少し辛みがあって美味しいです。



大根の葉は軽く炒めてふりかけに。

新米との相性抜群です。

大地の恵みを頂きます。

…こうした、作物ができるのは、健康な土壌も必要ですし、水も必要ですし

空気も必要ですし、人の手も必要です。

しかし、肝心な種(因、物事の起こり)が無ければ、環境がいくら整っていても

作物(果)は育ちません。

この種と言うのは「○○したい」いう願い(欲)でもあります。

願いことを叶える為には、それ相応の段階を踏まなければなりません。

その段階こそ修行なのです。

ただし、この修行というものは何の為にあるのかと、それに没頭するあまり忘れてしまいことも

有るのも事実であります。

…仏教(顕教)では長い時間かけて修行をして、何度も生まれ変わり悟りの世界へ到達したり

死後極楽浄土に生まれ変わるとして、我々が生きているうちに悟りの世界は味わえません。

しかし、密教ではそうではなく、「悟り」から入るのです。

つまり、自分はもともと仏であるという自覚が持つことが大切になるのです。

その自覚があることで、利他の心が養われると言っても過言ではありません。

「修行は大事です」と言いずーっと自身の悟りの為の修行(自利行)に没頭していては

この尽くし合う世界の、真理からハズレ、そしてもう一つの大切な価値観の

資本主義の世界からも、ハズレるのです。

仏教は、インドで発祥した宗教ですが、どうしてインドで弾圧を受け、衰退したかというと

修行者たちが、仏教は人里離れた山奥で、布教をせず、自身の修行に没頭していて

あまり、民衆の要望に対応してこなかったという事が一つの理由であります。

先程も申しましたように修行は大切ですが、何の為の修行なのか忘れてしまうと

そうなるのでしょう。

例えば、「プロ野球選手になりたい!」と強く願い一人で自主練をして実力はあっても

「あの先輩が嫌い」「あのコーチが嫌い」とどのチームにも所属せず、そして情報発信せずにいて、

テストも受けずにいたら、どうしてプロ野球選手なれましょう?

能力はあってもそれはプロ野球選手ではないのです。

そして、本当になりたいのか?…多分心の底からは思っていないのでしょう。

本当になりたかったのなら、そのようにアクションを起こしているはずです。

…お釈迦様も修行の末悟られましたが、その後、慈悲行をされ、布教にその人生を捧げられます。

弘法様も、悟られた後、菩薩行にその人生を捧げられます。

どちらの方も、修行をして、悟りをひらき、それを「実践している」のです。

「本当に仏様になりたい!(人の役に立ちたい)」と思うなら、それを実践しなければ

どうやって証明できましょう。

「でも、どのようにして人の役にたつの?」ということが思い浮かぶと思うのですが

それを自利行で見つけるのです。

何にもしないで、人の役に立つことは難しいですから。

その為には、自身を含め何も無い、「空」であると感じることが大切なのです。

我々は本来は無い物が有ると五感を奪われ強く思い込み、行動に移せないことが多々あります。

常識や習慣もそうですね。

「何も無い」から感じようとすれば、いくらでもすべきことが有るのです。

それが、したいこととか、できることとは、別ですけれども。

でも、やってみなければ好きか嫌いか、できるかできないかわかりませんしね。

だから、「無い」の中から徐々に選択肢を増やしていき、自分の気持ちとすりあわせて行く

事が大切になるのです。

すべきことで、できるとしても、したくないことはできませんからね、実際。

何故なら、常に練習(自利行)もしなければなりませんからね、嫌いなことは継続できません。

ですから、自利と利他はワンセットで有ることが大切で有るということですね。

…少し話が脱線しましたが、「○○したい」と願望があるのなら、そのようにしなければなりません。

売上アップなら、今求められている物を売ればいいのです。

そこに、自分の思いとかは不要です。

でも、どうしても「自分のやり方」とこだわるのであれば、それを理解してくれる人がいないということですね。

現在は。

いつかは現れるかもしれませんが、資本主義という現実の世界もあります。

つまり、周りに迷惑掛けずに生活はできるの?ということです。

でも、そうしたこだわりというのもなんにも無いのも、モチベーションは保てません。

ですから、仏教で言う「上求菩提 下化衆生」という言葉が大切になるんではないでしょうか?

自身の技を磨くことと、それを世の中に役たたせる事、「練習と実践」みたいなことでしょう。

仏に成るための修行は、それを実践するために行うのです。

実力があっても、テストを受けなければ、プロ野球選手にはなれないのです。

今何かを存在しているものは、その全てに物事の起こりが有るはずです。

それが、長い時間とともに最初の理念を忘れてしまい、形は残っているのに

それがうまく機能しない事があります。

ですから、最初の物事の起こりを忘れてはいけないということですね。

会議も、練習も、何かの実践するためです。

環境は全て整っていても、種が無ければ果は実りません。

反対に種があれば、環境を変えて、別のところで実らすことができますしね。

重要なのは「種」です。

そして、その種は空(虚空)の中にあるのです。
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[ 2015/11/19 13:02 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)