キリシマツツジが綺麗です



隣の神社のキリシマツツジの花が綺麗です。

燃えるような赤い色が情熱的でいいですね。

…火は火事などの原因になる恐ろしいものでもありますが、人が生活していく上では欠かせないものです。

しかし、我々を焦がす恐れがあるのは、実際の火だけではありません。

それは何と言っても「煩悩」であります。

この「煩悩」によって、我々は目に見えない地獄の業火に焼かれてしまうのです。

さらに、恐ろしいことにこれに焼かれている本人は気づきません。

例えるならば、火事が起きている火に包まれた家の中で平然と生活しているようなものです。

ですから、まず火事で有るという事を気づかなければなりません。

業火の出火元は「無智 智慧のない状態」であります。

これによって、貪り、怒り業火を増幅させて行くのです。

ですから、消火の水となる、仏の智慧が必要となるのです。

…我々人間は誰もが「無智」から始まっていると言われています。

「○○があれば幸せになる」また反対に「○○が無ければ不幸である」と

自分を初め、様々な事が「有る」と思い込み、さらにそこに幸福があると信じ

反対に失ったり、減ることを以上に嫌い、意味もわからず貪り、得られなければ怒り

炎は益々増幅していくのです。

ですが、この世は「空」であり、自分を初めすべてのものは実体はなく

我々の心の識によって作られているのです。

ですから、そうした無意味なものにしがみつくことをやめることが大切になり

そうした生き方が仏の智慧のある状態であるのです。

つまり、そうした「無い」に気づく事がスタートになるのです。

…しかし、気づいただけではいずれ炎は回ってきて身を焦がしてしまいます。

ですから、消火活動をしなければなりません。

それが、「方便」なのです。

普通の火事ならば、給水タンクからホースで引っ張って消火するのですが

この煩悩の炎を鎮火する水、つまり「方便」の原動力の源も実は煩悩なのです。

これは、火は恐ろしいものでもありますが、同時に我々の生活には欠かせないもので

あるのと同じく、「煩悩」は恐ろしいものでもありますが、同時に我々が穏やかな生活を維持して

行くためには大切な物なのです。

つまり煩悩自体は悪いものではなく、それを扱う人の心がけが問題なのです。

その行動の動機が利己的なものであれば、身を滅ぼしますが自分以外の喜びに貢献しているので

あれば、その行動の起こりと煩悩が結われ、素晴らしい生命エネルギー、菩提心となるのです。

…しかし、その行いが利他的であっても、自分が好きで無ければ中々続けまれません。

ですから、他人の喜びが自分の喜びに、自分の喜びが他の喜びになれる行動こそ

自利利他円満、その人にとっての不退の地になるのです。

その地に至るためには、まず火事の原因に気づくことです。

まるこげになってからでは遅いので、なるべく最小限に食い止めたいところです。

そして、その後は消火活動(修行)に励むことです。

ただ、この修行は自分と他人の利益に施さなければなりません。

…この世の最高の喜びとは仏の教えに出会うことであると言えます。

が、多くの人がそれに出会うことができずに、傷つけ合い、争い、

まさに地獄での生活を行っているのです。

ですが、こうして仏教に触れやすい日本に生まれたことは非常に幸運であり

それだけでも幸せなことなんだと思います。

意味のない自己執着によって生まれる、地獄の業火と

他の幸福を願う仏の智火とでは、同じ煩悩から生じているとはいえ

自分と周りに与える結果は全然違ってきますね。

スポンサーサイト
[ 2016/04/18 13:33 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)